アスリートや日頃運動を行っている方が抱える疾患は怪我だけではありません。オリンピックにおける疾患データでは、何らかの医学的対応を要した者の7割以上は内科疾患です。また競技中の突然死の7-8割以上が心疾患と、内科疾患が選手生命のみならず生死に関わることもあります。アスリートやスポーツする方の医学的な問題を解決してコンディショニングやパフォーマンス向上に繋げるとともに、安全に長く競技を続けられるようにサポートいたします。参加する競技レベルによっては、ドーピングを考慮した薬剤選択が必要となることもあります。
スポーツ障害の中で最も多い疾患です。貧血の有無は血中のヘモグロビン(Hb)値を確認します。WHOの貧血の定義では血液中の血色素量(ヘモグロビン)濃度が、成人男子が13g/dl以下、成人女性や小児(6〜14歳)で12g/dl以下、妊婦や幼児は11g/dl以下としています。貧血の原因はいくつかに分かれますが、一番多いのが体内の鉄分が不足して発症する鉄欠乏性貧血です。血液中の鉄(Fe)値が低下しているのとともに、内臓にあるはずの貯蔵鉄(フェリチン)値も低下しており補充できません。ヘモグロビンが正常値でもフェリチンの値が低いままだと動悸や息切れ、頭痛などが起こり、すぐに疲れを感じやすくなります(潜在的貧血)。とくに、思春期頃は体を大きくしたり月経で貧血が生じやすい時期です。更に部活等で鉄が大量消費され鉄欠乏は容易に起こります。鉄や吸収を促進するビタミンC、赤血球の合成に必要な葉酸やビタミンB12を、日々の食事から摂るように意識することが大切になります。また鉄の補充で改善が鈍いときは亜鉛欠乏が隠れていることもあります。貧血は運動のパフォーマンス以外にも集中力の低下や学力にも関連があり、早めに対処するべきです。
喘息といえば夜間や早朝に咳が続く病気のイメージですが、普通にしているときには無症状だが、運動すると咳が出たり息苦しくなるというものです。これはアスリート喘息とか運動誘発性喘息などといわれます。フィギュアスケートの羽生弓弦選手、レスリングの吉田沙保里選手などの金メダリスト、サッカー日本代表の岡崎慎司選手などがアスリート喘息です。より激しい運動で誘発されやすくなるため、一般の方々よりアスリートの方に有病率が高いと言われており、オリンピック選手の8%が喘息というデータもあります。体育や部活,運動などで咳が出たり息苦しくなる場合はアスリート喘息の可能性もあります。お子さんが部活をやりたいと訴えたとき、喘息を理由に運動を禁止してしまうケースがあります。しかしよほど重症でない限り、吸入・内服治療で喘息をうまくコントロールすることが出来ます。適度な運動をした方が健全な成長・発育に繋がるというエビデンスもあり、経過をサポートしながらお子さんに好きな運動を続けてもらうことができます。
運動を行って疲労が溜まると一時的にパフォーマンスは低下しますが、休息を取るとパフォーマンスは回復します。しかし、体が十分回復する前に更に運動を続けてしまうと回復が追い付かずに、パフォーマンスは低下していきます。長期間のハードトレーニングによるパフォーマンスの低下、倦怠感、息切れ、微熱などの身体症状、うつ、不眠、焦りなどの精神症状が現れているならオーバートレーニング症候群を疑います。パフォーマンス低下への焦りから更に追い込んでトレーニングをしてしまい、悪循環に陥る場合もあります。オーバートレーニング症候群の対処方法は、
1)1~2カ月間は基礎的トレーニング(ジョギングやウオーキング)のみとし、ハードなトレーニングを休止する。
2)完全休養はしない。
3)1~2カ月後、体調をみながら徐々にトレーニングの強度を戻していく。
4)基礎的トレーニングは継続する。
ことです。休養期間は数か月から年単位に渡ることもあり、そうなる前に予防が大切です。運動と休養と栄養をセットでバランスを保ってトレーニングを行うこと。普段から自分の体調をチェックする習慣を持つこと。パフォーマンスの低下の原因をトレーニング不足と安易に考えないことです。
女性アスリートに多い健康問題については世界中で警鐘が鳴らされており、主なものは女性アスリートの三主徴(Female Athlete Triad:FAT)と呼ばれるものです。利用可能エネルギー不足、無月経、骨粗鬆症の三つの状態です。三主徴のはじまりはエネルギー不足です。女性選手が激しい運動をして十分な食事をとらないとエネルギー不足に陥り、無月経や月経不順が起きやすくなります。特に中長距離や競歩など持久力を必要とする陸上競技で無月経の割合が高いと報告されています。またやせ型の選手の2割以上が無月経で、これは標準体重の選手の5倍以上と多くなっています。無月経になると卵巣から分泌されるエストロゲンが減少します。エストロゲンは骨代謝にも関係し、低下すれば骨密度が減少して骨粗鬆症になりやすくなります。思春期女子では、11
歳〜14 歳に骨密度の年間増加率が最も大きく、20 歳頃に骨量のピークを迎えます。思春期の骨形成時に十分なカルシウムの摂取、適切な運動負荷、順調な月経(正常なエストロゲンの分泌)があれば、高い最大骨量を獲得できますが、この時期に月経不順で骨量が低下すれば疲労骨折を発症する危険性が高まり、骨量が低下したまま一生過ごすこととなります。また、女性ホルモンが少ない無月経が続けば、子宮が萎縮して将来的には排卵障害や不妊症などの原因ともなります。生理不順が長く続いたり、15歳になっても初経がみられない場合は、婦人科で精密検査を受けましょう。
治療は食事療法で、運動によるエネルギー消費量に見合ったエネルギー摂取量を維持して標準体重を目指します。十分なエネルギーを摂取することで多くのアスリートは半年以内に月経を認めます。
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ランニングなどを始めたが苦しくて続かないという場合、貧血、心臓・呼吸器疾患、代謝疾患などが隠れていることも。健常者ならば運動を継続することで以下のメカニズムで体が適応して徐々に苦しさが改善していきます。
1. 心肺機能の向上
心臓の強化: ランニングなどの有酸素運動を続けることで、心臓の筋肉が強化され、一度の拍動で送る血液量(心拍出量)が増加します。これにより、全身に酸素が効率的に供給されるようになり、同じ運動強度でも酸素不足を感じにくくなります。肺活量の増加:
継続的な運動により、肺がより多くの空気を吸収できるようになります。これにより、酸素の取り込みが改善され、呼吸が楽になります。
2. 血液の酸素運搬能力の向上
赤血球の増加: 有酸素運動を続けると、赤血球の数が増加し、血液が酸素をより効率的に運搬できるようになります。これにより、筋肉への酸素供給が改善され、疲れにくくなります。
3. 筋肉の適応
ミトコンドリアの増加: ランニングを続けると、筋肉内のミトコンドリア(エネルギーを生産する細胞内小器官)の数が増加し、酸素を効率的に利用してエネルギーを生成(有酸素運動)できるようになります。エネルギーが足りなくなると(無酸素運動が開始され)乳酸が蓄積します。有酸素運動能力が高ければ、乳酸の蓄積が抑えられ運動の持続が楽になります。また、ミトコンドリアは脂肪酸もエネルギー源として利用可能なため、グリコーゲン(炭水化物)の消費が抑えられ、長時間の運動でも疲労を感じにくくなります。但し、筋肉中のミトコンドリアの増加には時間がかかります。具体的には、運動開始1週間以内でミトコンドリアの増加に関する遺伝子の活性化が始まり、数週間でミトコンドリアの数や機能が少しずつ向上し始めエネルギー効率が改善され始め、運動が少し楽に感じられるようになります。4〜12週間の間にミトコンドリアの数が顕著に増加し、筋肉の持久力が明確に向上し長時間の運動が楽に感じられるようになります。さらにトレーニングを続け3ヶ月以上でミトコンドリアの増加が持続し、最終的には一定のレベルで安定します。この段階でミトコンドリアの効率も高まり、酸素を使ったエネルギー生産能力が大幅に向上します。
毛細血管の増加: 筋肉内の毛細血管が増えることで、酸素と栄養素の供給が改善され、代謝産物の除去が効率的になります。これにより、筋肉が酸素をより効率的に利用でき、運動時の苦しさが軽減されます。
4. 自律神経系の適応
交感神経と副交感神経のバランス: 運動を続けると、自律神経系(特に交感神経と副交感神経)のバランスが整い、心拍数や呼吸のコントロールが向上します。これにより、運動中の心拍数や呼吸が安定し、苦しさが軽減されます。
5. 精神的な適応
メンタルの強化: ランニングを続けることで、運動の苦しさに対する心理的な耐性が向上します。自分の体力や限界を理解し、焦らずにペースを維持できるようになることで、精神的な苦しさが軽減されます。
以上、生理的および心理的な適応が進むことで、運動時の苦しさが徐々に改善され、より快適に走れるようになります。突然高負荷を掛けるのは危険ですから徐々にやりましょう。